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 2015年9月18日(金)

  『この日何の日、気になる日 第76回』

白鵬休場!
大本命の休場で、大相撲秋場所も誰が優勝するのか分からなくなりましたね。

シルバーウィークは、相撲三昧と洒落こみますかね♪

という訳で、連休前の『この日何の日…』いってみましょう!

1972年(昭和47年)9月18日は、ジャイアント馬場が全日本プロレス旗揚げシリーズの発表記者会見を開いた日なのです。

さらに、国際プロレスの吉原功社長も列席し、サンダー杉山の全日本プロレス円満移籍も発表したのです。

日本プロレスを退団し、新団体全日本プロレスを設立した馬場。

急な独立だったこともあり、手薄な日本陣営に杉山の加入は、とても助かったことでしょう。

しかしなぜ、わざわざ杉山を移籍させたのでしょうか?

シリーズごとに国際の選手としての、助っ人参戦でも良かったのでは?

とても気になりますね。

国際プロレスでは、IWAシングルとタッグの王者として活躍していた杉山も、ストロング小林やラッシャー木村の台頭で、やや燻っていたのは確か。

このまま国際プロレスで、後輩たちの引き立て役になるよりは、新天地でもう一花咲かそうと移籍を望んだのかも知れません。

吉原社長もそんな杉山の気持ちを考えて、気持ちよく全日本に送り出したのでしょう。

信頼できる馬場の新団体で活躍することが、お世話になった吉原社長への恩返しであり、国際プロレスの実力を見せつけることになると、杉山は感じていたに違いありません。

そこで、最後に一言!

『杉山を、生かすも殺すも、馬場しだい』

また、来週!

 2015年9月11日(金)

  『この日何の日、気になる日 第75回』

梅雨が終わったと、喜んでいたのも束の間。

秋雨や台風がやって来て、気分が乗らないマサルです。

しかも、ピッチャーでもないのに肩を痛めてしまい、接骨院に通ってます。

連休までには治したいなぁと思いつつ、今週も『この日何の日…』いってみましょう!

1984年(昭和59年)9月11日は、UWF後楽園ホール大会で、スーパー・タイガー(佐山サトル)対前田日明の実力No.1決定戦が行われた日なのです。

結果はタイガーが勝利し、新団体UWFのトップの座に君臨したのです。

しかしなぜ、実力No.1決定戦などと古臭いタイトルを付けたのか気になります。

プロレスならば、チャンピオン・ベルトを懸けた試合が当たり前。

ベルトを巻いている者こそ実力No.1なのです。

しかし前田が保持していたWWFインターナショナル王座は自然消滅状態で、UWFにはベルトはなかったのですね。

それに、従来のプロレスとは違い、より格闘技色強く打ち出していたUWF。

ロープに飛ばない、場外乱闘がなく、関節技とキックとスープレックスを用いた闘いに、ファンもマスコミもベルトは不用と感じていたのかも知れません。

反則や不透明決着のないマットに必要なのは、光り輝く豪華なベルトよりも、実力No.1というファンの記憶に残る闘いだったのでしょう。

そこで、最後に一言!

『ベルトより、プライド懸けた、男たち』

また、来週!

 2015年9月4日(金)

  『この日何の日、気になる日 第74回』

皆さまこんにちは、近所の静江ちゃん(猫)と遊ぶのが楽しみなマサルです。

猫は自由でいいですねぇ…見ているだけで癒されます…
と遠い目になりながら、今週も『この日何の日…』いってみましょう!

1991年(平成3年)9月4日は、全日本プロレス日本武道館大会で三沢光晴・川田利明組が、ジャンボ鶴田・田上明組を降して世界タッグ王座初防衛に成功した日なのです。

売り出し中の超世代軍が初防衛したことが何か?と思うなかれ。

なんと三沢がフェース・ロックで、鶴田から日本人選手初のギブアップ勝ちを奪ったのです。

しかしなぜ三沢は初防衛戦という大切な試合で、鶴田より格下の田上ではなく鶴田に狙いをつけたのか。

しかもスリーカウントではなく、ギブアップ勝ちを選んだのか、とても気になります。

前年に起こった大量離脱後にマスクを脱ぎ、タイガーマスクから素顔に戻った三沢。

さらに団体立て直しのため、打倒鶴田を目標に川田らと結成した超世代軍。

結成直後の鶴田との一騎討ちで、三沢は勝利したものの完全勝利とは言えなかったのは事実です。

その後の対戦では鶴田の圧勝、完璧な鶴田越え、エース交代はまだまだと見られていた三沢。

タッグとはいえ鶴田から直接勝利しなければ、超世代軍は決起軍の二の舞になってしまいます。

そこで三沢は何がなんでも鶴田から、それも日本人選手の誰もが成し得なかったギブアップ勝ちを狙ったのかも知れません。

スリーカウントならば切り返しや丸め込みなど、一瞬の隙をつき奪うことは可能ですが、ギブアップ即ち相手に「まいった」言わせることこそ文句なしの完全勝利。

完全無欠の大エース鶴田からのギブアップ勝ちすることで、三沢の次期三冠王者、次期エースは手の届くところまで来たのは間違いありませんでしたね。

そこで、最後に一言!

『言い訳を、出来ぬ結果が、ギブアップ』

また、来週!

 2015年8月28日(金)

  『この日何の日、気になる日 第73回』

皆さま、8月だってーのに急に涼しくなりましたね。
くしゃみ、鼻水、鼻づまりに気を付けて、今週も『この日何の日…』お楽しみくださいませ。

1985年(昭和60年)8月28日は、日本テレビが「全日本プロレス中継」のゴールデンタイム復帰を発表した日なのです。

全日本プロレスがゴールデンタイムに放送されるのは実に6年半ぶり。

土曜日の夕方に放送されていた時期は、ライバル団体新日本プロレスの人気は急上昇。

タイガーマスクの活躍や藤波辰巳と長州力の名勝負数え唄。

アントニオ猪木も、はぐれ国際軍団やWWFの外人などとの抗争で実力を発揮。

常に最新の話題を提供する過激なプロレスを、ファンは王道プロレスより支持したということなんですかね。

というよりも、新日本が放送されているのは金曜夜8時。
週末のゴールデンタイムならば、家族ぐるみで食い付くのは当たり前。
新日本人気を支えていたのは、テレビの力もあったはずです。

がしかし、新日本で活躍していた長州ら維新軍やスタン・ハンセン、ブリティッシュ・ブルドッグスが全日本に移籍。

タイガーマスクも引退してしまい、新日本に残る戦力は猪木、藤波に坂口ぐらいなもの。

新日本と全日本の立場が逆転し、当然全日本の人気は大爆発。

となれば、日本テレビも視聴率狙いでゴールデンタイムに放送するしかないでしょう。

だけれども、放送時間が土曜の夜7時とは、どういうことなのか?

とても気になります…

土曜日なのは問題ないですが、もし生中継の場合、6時半試合開始ならば第2試合か第3試合からの放送になってしまいます。

メインイベントが8時半頃と考えると、一番見たい試合が見れないのです。

ということは、ほとんど録画中継を覚悟しなければならないとは。

録画中継であれば、試合途中での放送終了という最悪の状態は回避できますが、結果が先に分かってしまう危険性もあります。

ビッグマッチであればあるほど、リアルタイムで試合見たいのは当然のこと。

いくらゴールデンタイムでも、生中継がないのでは嬉しさは半減してしまいますね。

番組枠の関係で仕方ないことですが、曜日を変えてでも8時からの放送にして欲しかったですね。

そこで、最後に一言!

『プロレスを、見るならやっぱり、生中継』

また、来週!

 2015年8月21日(金)

  『この日何の日、気になる日 第72回』

皆さま、お盆休みは楽しかったですか?

海に山に旅行やG1や高校野球と、夏は楽しいことばかりですね。

さて夏休みボケを引きずりながら、休み明けの『この日何の日…』いってみましょう!

1993年(平成5年)8月21日は、SPWFが桐生市民体育館で旗揚げ戦を行った日なのです。

SPWFとはSWS解散後、谷津嘉章が設立した「Social professional wrestling federation」社会人プロレスリング連盟という団体であります。

つまりリングで試合するレスラーは、専業ではなく仕事をしながら空いている時間にプロレスをするというもの。

会社勤めや自営業の方たちが、休日にゴルフや野球を楽しむ代わりに一丁プロレスでもやりましょうか!てな感じなんですかね。

しかも上手くいけば、本物のレスラーになれる可能性があるというのも、この団体の魅力でした。

がしかし、ゴルフや草野球のように、下手くそでもそれなりに楽しめ、終わったあとのビールが待っているほどプロレスは甘くはないのです。

一歩間違えば大怪我が、最悪死が隣り合わせなのです。

いくら谷津が指導するとはいえ、そんな危険な賭けに谷津はなぜ挑戦したのか気になります。

アマレス重量級最強といわれ新日本プロレスに入団し、ジャパンプロレス、全日本プロレス、SWSと渡り歩いた苦労人谷津。

アマレス最強でもプロレスで大成功したとは言い難く、谷津は悔しい思いをしたはず。

そんな経験から埋もれているレスラー志望者を、自分の団体で理想のレスラーに育て上げる。

働きながら身体を鍛えレスラーになる、プロレスを諦めかけていた若者たちに夢を与えるプロレス学校だったのかも知れませんね。

そこで、最後に一言!

『レスラーは、社会人じゃ、ないのかな』

また、来週!

 2015年8月7日(金)

  『この日何の日、気になる日 第71回』

連日の猛暑で完全夏バテのマサルです。

早く涼しい季節になってもらいたいですね。

しかし、冬が来たのなら、暑い夏を待ち焦がれてしまうのです。

とまあ勝手なことを言いつつ、今週も『この日何の日…』いってみましょう!

1991年(平成3年)8月7日は、世界格闘技連合「W★ING」が後楽園ホールで旗揚げした日なのです。

このW★INGという団体は、FMWのフロント・スタッフの内部分裂により誕生した団体。

選手の中心は、これまたFMWを離脱したミスター・ポーゴに、期待の新人である空手の齋藤彰俊、柔道の徳田光輝、サブミッション・マーシャルアーツの木村浩一郎の格闘三兄弟。

デスマッチ得意の大ヒールポーゴとアスリート系の三兄弟の絡みは、果して成功するのかどうか、気になります。

確かにポーゴ主役のデスマッチ団体であればFMWの二番煎じ、本家の方が面白いに決まってます。

となれば、当時人気のデスマッチに、本格的な格闘技を融合させようと団体幹部は考えたのかも知れません。

世界格闘技連合というぐらいですから、闘いの全てを網羅するつもりだったのでしょうね。

でもちょっとメンバーが弱かったな…

そこで、最後に一言!

『三兄弟、格闘よりは、団子かな』

また、来週!

 2015年7月31日(金)

  『この日何の日、気になる日 第70回』

♪オ~レが居たんじゃ、お嫁にゃ行けぬ♪分かっちゃいるんだ妹よ♪

毎週土曜BS JAPANの「男はつらいよ」シリーズ一挙放送!いいですね~

子供の頃は、寅さんの何が面白いのか不思議でしたが、歳をとった今、改めて観ると最高ですね。

寅さんに大相撲にプロレス!

面白いからこそ、長続きするんですね。

という訳で今週も『この日何の日…』いってみましょう!

1984年(昭和59年)7月31日は、全日本プロレス蔵前国技館で、2代目タイガーマスクがリング上でお披露目を行った日なのです。

前年に突如引退してしまった、新日本プロレスの初代タイガーマスク。

2代目タイガーマスクは、マスクやコスチュームは初代と同じですが、中身はまったくの別人。

お披露目で司会の徳光和夫氏に促され、颯爽とコーナーポストに飛び乗った2代目タイガーマスク。

入場テーマ曲は、昔懐かしいアニメ「タイガーマスク」のオープニングソング。

初代は、テレビ朝日「タイガーマスクⅡ世」とのタイアップのため、入場テーマ曲も「タイガーマスクⅡ世」。

しかし、2代目は全日本プロレス!

全日本プロレスは日本テレビ!

徳光和夫氏も紹介時に「日本テレビに帰ってきた!」と叫んでました。

それなのに、なぜコスチュームは初代と同じ「Ⅱ世版」なのでしょうか?

気になります…

せっかく日本テレビに戻って来たのなら、テーマ曲だけでなく真っ黒のロングタイツにして欲しかったですよ。

初代と違い長身の2代目なら、黒のロングタイツでも様になっていたはず。

初代と同じコスチュームでは、初代の人気に便乗した二番煎じと言われても仕方ありません。

それとも、初代の人気をそのまま引き継ぐつもりだとしたら、2代目はとても気の毒ですね

そこで、最後に一言!

『黒タイツ、虎の仮面にゃ、似合わない?』

また、来週!

 2015年7月24日(金)

  『この日何の日、気になる日 第69回』

いや~「GO-Qバーベキュー大会」暑かったけど楽しかったです。

この場を借りて、参加していただいた方々に御礼申し上げます。

次回は涼しくなってからでも、やりたいですね。

しかし、なぜバーベキューって大会なんですかね?

とても気になります…

いやいや、ここで気になっては話が進みませんので、今週の『この日何の日…』いってみましょう!

1989年(平成元年)7月24日 は、アントニオ猪木が参議院選に当選を果たした日なのです。

この年6月にスポーツ平和党の事務所開きを行い、正式に出馬表明した猪木。

「国会に卍固め、消費税に延髄斬り」という個性的なキャッチフレーズで、99万3989票を獲得して見事当選し、世界初のプロレスラー国会議員が誕生したのですね。

世界初の、史上初のプロレスラー国会議員とは素晴らしいことですが、なぜ猪木は政治家を目指したのか?

プロレスだけでは、なぜダメだったのか気になります。

この時猪木は46歳、レスラーとしての衰えを感じていたのか。

IWGP王座も藤波辰巳の政権が続き、長州力も戻ってきた新日本マット。

盟友である坂口征二も引退を表明し、猪木自身燃えるものがなくなりかけていたのかも知れませんね。

引退しても、スポーツを通じての世界平和。

いやいや、プロレスを通じての世界平和を合言葉に、いつまでもプロレスに携わっていたかったのでしょう。

人とは違う生き方を望む、猪木らしいと言えば猪木らしいですね。

そこで、最後に一言!

『猪木さん、目指すは総理大臣か!』

また、来週!

 2015年7月17日(金)

  『この日何の日、気になる日 第68回』

いや~暑いですねぇ

やっと夏が来たって感じになって参りました!

夏が来れば楽しいことがいっぱい♪

鰻にビールにかき氷!

皆さま、お腹を壊さないように

という訳で今週も『この日何の日…』いってみましょう!

1976年(昭和51年)7月17日 は、全日本プロレス北九州大会で、ジャンボ鶴田対ビル・ロビンソンの一騎討ちが行われた日なのです。

この一戦は「鶴田試練の十番勝負」の第4戦であり、結果は時間切れ引き分け。

さらに10分の延長をしましたが再び引き分け、決着がつきませんでした。

試練の十番勝負というぐらいだから、世界の強豪と闘うことで、鶴田を将来のエースに育てるのが目的のこの企画。

バーン・ガニア、ラッシャー木村、テリー・ファンクと、過去3戦は勝ちこそないが名勝負ばかり。

世界王者クラスを相手に、鶴田がどこまで喰らいつくかが、この十番勝負の見所でもあるのです。

しかし、このロビンソン戦はなぜ延長までして、勝ち負けに拘ったのでしょうか?

とても気になりますね。

前述の通り、負けて元々の大物が相手なんだから、勝ち負けは二の次三の次。

いくらセンス抜群の鶴田と言えども、良くて引き分け、勝てたとしてもリングアウトか反則勝ちだと見られていたはず。

それなのに、この一戦は引き分けでは納得出来ずに、延長戦を希望した両者。

というより、延長戦を希望したのは、鶴田だけのように見えたのは私だけ?

世界王者のガニアとテリーに国際プロレスのエース木村に一敗二分けとし、そろそろ勝ちという結果が欲しかったのも分かります。

それとも、この日の闘いの中で、ロビンソンに勝てそうな何かを鶴田は感じ取ったのか?

それにしても3本勝負とはいえ、真夏に延長戦を含めて70分も闘うとは。

付き合わされたロビンソンは、たまったもんじゃありませんね。

そこで、最後に一言!

『鶴田さん、オレなら勝てると、思ったの?』

また、来週!

 2015年7月10日(金)

  『この日何の日、気になる日 第67回』

はっきりしない天気が続き、イライラしっぱなしのマサルです。

いったいいつになったら、梅雨は明けるのでしょうか?

という訳で、今週も『この日何の日…』いってみましょう!

2004年(平成16年)7月10日 は、プロレスリング・ノアが初の東京ドーム大会「Departure2004」を開催した日なのです。

2000年8月に全日本プロレスを退団した、三沢光晴や小橋健太らが旗揚げしたノア。

全日本プロレスと変わらず激しく内容の濃い試合内容で、旗揚げから常に会場は超満員の人気団体。

人気団体イコールドーム興行が考えられるプロレス界ですが、ノアは日本武道館や有明コロシアムに留めておりました。

試合面でも興行面でも、全日本イズムつまり馬場イズムを継承していたノアに、東京ドーム大会は興味がなかったことでしょう。

そのノアがなぜ、旗揚げ4年にしてドームに進出したのか、とても気になります。

当時ドームといえば新日本プロレスでしたが年々観客動員数は減少し、低迷期に差し掛かっていたプロレス界。

しかし、ノアだけは人気が衰えず、大小、地方どの会場も活気に溢れていました。

だからといって、そう簡単にドーム興行にゴーサインを出す三沢社長とは思えません。

武道館を超えるカード揃えるだけでは難しいドーム興行ですが、三沢社長は今出来る最高のカードを用意し、プロレス人気の復活に懸けたのかも知れませんね。

小橋対秋山準というノア頂上決戦や三沢と武藤敬司の初対決などもあり、結果は58000人を動員する超満員の大成功。

東京ドームの新記録にはなりませんでしたが、復興のきっかけになったことは確かでした。

そこで、最後に一言!

『本当は、ドームじゃなくても、いいのにな』

また、来週!

 2015年7月3日(金)

  『この日何の日、気になる日 第66回』

皆さま、7月に入りました!
梅雨ももうすぐ終わり、楽しみな名古屋場所も迫っております。

夏休みはまだまだ先ですが、週末の楽しみは増えますね。

という訳で、今週の『この日何の日…』いってみましょう!

1993年(平成5年)7月3日は、元SWSの佐野直喜がUWFインターナショナルに入団した日なのです。

佐野は新日本プロレスでデビューし、メキシコ武者修行から帰国後、ジュニアヘビー戦線で活躍。

特に獣神ライガーとの闘いは、ジュニアの黄金カードとして定着。

その後SWSに移籍した佐野ですが、この頃からUWFスタイルを取り入れだしました。

SWSと藤原組の対抗戦で、唯一UWFルールで闘ったのも佐野。

交わることが難しいSWSとUWF系の中で、佐野だけは生き生きしていたように見えました。

SWS解散後、WARにもNOWにも参加しなかった佐野の、UWF系団体入団は時間の問題とされていました。

UWFから分裂した3団体の中で佐野が選んだのは、藤原組でもなくリングスでもなく高田延彦率いるUWFインターナショナル。

 

なぜ佐野はUWFインターを選んだのでしょうか?

とても気になります。

この頃藤原組は主力選手の退団もあり、団体としての力が衰えていたのも事実。

リングスは、前田日明をトップに外国人との格闘技色の強いファイトを展開する団体。

そして佐野が選んだUWFインターは、ルー・テーズを最高顧問に迎え入れ、チャンピオン・ベルトも設定。

プロレスこそ最強という理念のもと、UWF系の団体でありながらプロレス色を全面的に押し出していたのです。

つまりUWFインターが目指していたものは、新日本プロレスのスタイルでありアントニオ猪木のスタイル。

確かに3団体の中で一番勢いもありましたが、やっぱり佐野は新日本プロレスが好きだったんですかね。

佐野自身が好きだった、昔の新日本のストロング・スタイルを求めてUWFインターに入団。

佐野の目には、本家の新日本よりUWFインターの方が新日本らしく映ったのかも知れませんね。

 

そこで、最後に一言!

『Uインター、やってることは、新日本』

また、来週!

 

 

 

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