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 2015年6月19日(金)

  『この日何の日、気になる日 第65回』

今さらながら、妖怪ウォッチにハマっているマサルです。

所詮子供向けのアニメとバカにしていましたが、実際観てみると中々面白くて録画してまで観ております。

アニメもプロレスも、面白いものに年齢は関係ないんですね。

ということで、今週も『この日何の日…』いってみましょう!ニャン!!

1974年(昭和49年)6月26日は、新日本プロレス大阪大会で、アントニオ猪木対タイガー・ジェット・シンのNWF世界ヘビー級選手権試合が行われた日なのです。

結果は王者猪木が、シンの右腕を骨折させてのレフェリー・ストップ勝ちで王座防衛に成功。

1年前から始まった猪木のシンの抗争は、因縁の対決として新日本マットに定着した目玉カード。

そのドル箱的なカードも、シンの腕を折ってしまっては台無しなのに、なぜ猪木はこの暴挙に出たのでしょうか?

とても気になりますね。

この大阪決戦も20日の蔵前大会に続く2連戦目で、蔵前では辛くも防衛に成功した猪木でしたが、火炎攻撃など反則やりたい放題のシンに攻めこまれていたのも事実。

蔵前での復讐、1年間の抗争に終止符を打つ、両者の遺恨がピークに達したまさに決着戦。

流血や喧嘩ファイトはある程度予想されてましたが、まさか骨折や病院送りが起きるとは。

本来ならば対戦相手に怪我を負わせ、尚且つ欠場に追い込むなどプロレス界ではタブーと言えます。

いちレスラーである前に、新日本プロレスの社長である猪木が、その禁を破ってまでの骨折事件。

夫人を巻き込む新宿伊勢丹事件やサーベルを振り回す狂乱ファイトなど、シンの暴走は止まることなく加速する一方。

猪木はそんなシンに対して、プロレスの範疇を越えた怒りが爆発してしまったのでしょう。

そんな数々の話題を振りまいたシンとの抗争も、この一戦で一旦落ち着きました。

しかし、腕折りとはチョットやりずきですね。

そこで、最後に一言!

『プロレスで、本当のヒールは、猪木かも』

また、来週!

 2015年6月19日(金)

  『この日何の日、気になる日 第64回』

皆さま、暑さ続きで熱中症寸前のマサルです。

暑いとビールは美味いですが、暑い中での仕事は嫌なもんですね。

とまあ愚痴はこのへんで今週の『この日何の日』いってみましょう!

2000年(平成12年)6月19日は、全日本プロレスの川田利明と渕正信が道場で記者会見を行い、新日本プロレスへの出撃を表明した日なのです。

この年全日本プロレスでは、三沢光晴以下レスラー、スタッフ20数名が退団する大事件が起こります。

残されたレスラーは、川田と渕、マウナケア・モスマンの3名。

たった3名では試合も組めず、この先をどう乗り切るのかと思った矢先のこの会見。

大所帯の新日本プロレスに喧嘩を売れば、興行をキャンセルすることもなく、しかも話題性も充分。

団体を立て直す良いきっかけと、誰もが考えていました。

しかし、なぜ新日本だったのでしょうか?

とても気になります。

全日本と新日本といえば、ジャイアント馬場とアントニオ猪木が犬猿の仲と言われるように、交わることが不可能な間柄。

レスラーの引き抜きや興行戦争、中傷発言等など。

格闘技系やデスマッチ系の団体と違い、両団体とも昔ながらの純プロレス団体。
異色のスタイルよりも純プロレス同士の方が、噛み合いそうで上手くいかないのがプロレス。

攻めのストロング・スタイルの新日本と、受けの王道プロレスの全日本。

両団体とも歴史と伝統のスタイルを崩すことなど、プライドを捨てるようなもの。

それなのに川田と渕は、新日本出陣を決定しまうのです。

二人の気持ちは、師匠である馬場のスタイルを捨てるのではなく、馬場の創った全日本プロレスを潰したくなかったのでしょう。

選手がいなければ、インディーのレスラーでも文句は言えません。

それが一流どころの新日本であれば、願ったり叶ったり。

団体存続のため、馬場のための決断だったに違いありません。

実現しなかった馬場と猪木の対決を、川田と渕で代理戦争。

本音を言えば、鶴田や三沢がいた時にやって欲しかったな。

そこで、最後に一言!

『全日の、看板だけは、捨てられぬ』

また、来週!

 2015年6月12日(金)

  『この日何の日、気になる日 第63回』

6月に入りました!

ジメジメと嫌な梅雨がやってきますね。

連休もないくせに、雨の多い6月は早く終わって欲しいものです。

と愚痴はこのへんで今週の『この日何の日…』いってみましょう!

1986年(昭和61年)6月12日は、新日本プロレス大阪城ホール大会で、藤波辰巳と前田日明の一騎討ちが行われた日なのです。

この対決はIWGPヘビー級王座決定リーグ戦のBブロック公式戦であり、ブロック代表を左右する注目の一戦。

大前田コールの中で、強烈なキックを何発も受け切るサンドバッグ化した藤波に、いつしか会場は藤波コールに。

前田のニールキックで藤波が右目上から大流血するなど、互いに一歩も退かないこの対決は、リング中央で両者のキックがぶつかり合いダブル・ノックダウンで決着はつきませんでした。

しかしなぜ藤波は、前田のキックを避けずに全て受け切ったのでしょうか?

この藤波の自殺行為に似た行動、とても気になります。

この年から新日本マットに復帰した前田たちUWF軍団。

キックと関節技を中心とするUWFの妥協なきファイト・スタイルと、新日本のストロング・スタイルは交わりそうで交わらない難しいものでした。

ロープに飛ばない、相手の技受けないプロレスは、UWFでは当然のことでも、新日本のレスラーとファンには理解出来ないものでした。

新日本レスラーの中には、UWFとの対戦を拒む者さえいる中、敢然と立ち向かったのが藤波なんですね。

新日本もUWFもプロレスはプロレス、言葉で批判するよりも闘って新しいスタイルを藤波は創りたかったのでしょう。

試合後は握手でノーサイド。

壮絶な両者KO劇だったにもかかわらず、互いに健闘を称えあった藤波と前田。

この一戦でプロレスの流れを、変える手応えを感じたに違いありません。

そこで、最後に一言!

『プロレスは、受け手がなければ、成り立たぬ』

また、来週!

 2015年6月5日(金)

  『この日何の日、気になる日 第62回』

いや~暑い日が続きますね。

この調子でいくと、8月はとんでもない暑さになるのでは?

仕事も遊びも熱中症に気をつけて、今週も『この日何の日…』いってみましょう!

1989年(平成元年)6月5日は、全日本プロレス日本武道館大会で、天龍源一郎がジャンボ鶴田を破り第2代三冠ヘビー級王者になった日なのです。

全日本プロレスに存在する3本のヘビー級王座、インターナショナル、PWF、UN。

その3本を統一し、初代三冠ヘビー級王者に輝いた鶴田。

しかし、三冠統一に誰よりも早く動き出したのは、1年前にUN、PWF二冠王者だった天龍。

その後、ブルーザー・ブロディ、スタン・ハンセン、鶴田、天龍の4人の間でベルトは動き、この年の4月に鶴田によって三冠統一が達成されるのです。

伝統のタイトルを統一した偉業なだけに、一番悔しがったのはタイトル統一の提唱者である天龍に違いありません。

しかしなぜ天龍は、急に3本のベルト統一を目指したのでしょうか。

とても気になります。

1つの団体に3本のベルトというのは、いささか多い気はしましたが、豪華外人勢とジャイアント馬場、鶴田、天龍が上手く絡み合い魅力的なカードを提供してきたのも事実です。

しかし、2年前に天龍同盟を結成し団体の活性化に取り組んだ天龍には、王者は一人で充分と気持ちがあったのでしょう。

ベルトが1つならば、嫌でも鶴田との対決は避けられません。

長年のエースでありライバル鶴田を倒さなければ、天龍の革命は達成されないのです。

初代三冠統一王者鶴田にこの年4月に挑戦し、失神KO負けの上、一ヶ月に及ぶ欠場に追い込まれた天龍にあとはありません。

背水の陣で挑んだ天龍同盟スタートから5回目の一騎討ちで、鶴田から初のピンフォール勝ちを奪った天龍。

念願の三冠王座戴冠、打倒・鶴田による革命達成した姿を、半年前に解雇された盟友である阿修羅・原に見せたかったでしょうね。

そこで、最後に一言!

『最強の、男はひとり、だけでいい』

また、来週!

 2015年5月29日(金)

  『この日何の日、気になる日 第61回』

千秋楽に8人に優勝の可能性があるという大混戦の大相撲夏場所も、関脇・照ノ富士の涙の初優勝で盛り上がりました。

同部屋の弟弟子のため、結びの一番で白鵬に勝利した日馬富士にも感動しましたね。

名古屋場所まで待ち遠しいですが、今週も『この日何の日…』お楽しみくださいませ。

1971年(昭和46年)5月29日は、日本プロレスの後楽園ホールにて、アントニオ猪木のジャイアント馬場への挑戦は、時期尚早として却下されたことが正式発表された日なのです。

ことの起こりは10日前大阪でのワールド・リーグ戦・決勝戦後に、優勝を決めた馬場に猪木が挑戦を表明。

翌日日本プロレス・コミッショナー宛に正式に挑戦願いを提出したが、日本プロレスに差し戻されます。

団体幹部が数日間検討した結果が、この日の発表となったのです。

なぜ猪木はそこまでして、馬場と闘いたかったのでしょうか?

とても気になりますね。

猪木と馬場は同日入門の同期の桜、互いに力道山にしごかれ明日のスターを夢見た間柄。

デビュー後馬場は巨体とセンスを買われエリートコースを歩み、力道山死後はワールド・リーグ戦優勝やインターナショナル王者になるなどエースとして活躍。

かたや猪木は退団と復帰もあり、馬場の下で燻り続けてしまうのです。

そんな猪木も2年前のワールド・リーグ戦優勝したあたりから、馬場との差はなくなったと思われました。

がしかし、本当に馬場を抜きエースになるには、馬場を倒さなければ誰も認めてはくれません。

この年猪木は、UNヘビー級のベルトを巻き念願シングル王者となり、ワールド・リーグ戦は優勝はのがしたものの最後まで優勝争いに絡む活躍を見せていました。

今この時を逃したくないというより、今ならば馬場に勝てると猪木は感じて動いたのでしょう。

しかし、日本人同士の対決を許さない団体の答えは時期尚早、猪木は納得いかなかったに違いありません。

団体の序列を乱しかねない日本人対決ですが、ファンが本当に見たいのは日本人トップを決める闘い。

相撲出身の多い日本プロレス幹部には、同門対決は考えられなかったのでしょうね。

この夢のカードが実現しなくて、得をしたのは馬場か猪木か?

 

そこで、最後に一言!

『出戻りじゃ、エースの器じゃ、ないのかな』

また、来週!

 2015年5月22日(金)

  『この日何の日、気になる日 第60回』

まだ5月だというのに、暑い日が続きますね。

体調管理に気をつけて、今週も『この日何の日…』いってみましょう!

1992年(平成4年)5月22日は、SWS後楽園ホール大会の試合前に、谷津嘉章と仲野信市が引退を発表した日なのです。

ことの発端は団体内部のクーデターであり、反天龍派の選手が天龍源一郎を追放する騒ぎが勃発。

結果クーデターは失敗するのですが、ことの首謀者として谷津が全責任を被り引退を表明。

そして、新日本、ジャパン、全日本と谷津と行動を共にしてきた仲野も引退を決意。

急な引退発表だったため、谷津と仲野はこの日試合が引退試合となってしまいました。

しかし、別れを惜しむはずの引退試合なのにファンからの声援はなく、ブーイングや辛辣な野次を浴び続ける切ないものでした。

なぜ、谷津と仲野はそこまでファンに憎まれたのでしょうか?

各団体から選手を引き抜き、莫大な資金をバックに旗揚げしたSWS。

今までにないプロレス団体を創ろうと、集まった選手たちには夢や理想があったはずです。

その夢や理想がぶつかり合い、リング上の争いではなくクーデターという最悪な結果になったことが、ファンは許せなかったのでしょう。

しかし、クーデターでターゲットにされた天龍と、首謀者扱いされた谷津のどちらが本当の悪者だったのか?

とても気になりますね。

谷津も天龍もSWSの発展を願っていたはずです。

双方の言い分は正しいと思われますが、正論同士がぶつかり合うほど厄介なことはありません。

結果的に天龍が残り谷津が去ることが、本当にただしかったのか?

真実を知らないはずのファンの答えは、この試合に出ていたということなんですかね。

そこで、最後に一言!

『谷津仲野、どこに行っても、損ばかり』

また、来週!

 2015年5月15日(金)

  『この日何の日、気になる日 第59回』

皆さま、こんにちは

ゴールデンウィークも終わり、休養充分のマサルです。

楽しい連休は終わってしまいましたが、夏場所でも見ながら次の連休まで頑張りましょう。

それでは早速、今週の『この日何の日…』いってみましょう!

1972年(昭和47年)5月15日は、日本テレビが日本プロレスのテレビ放映打ち切りを正式に発表した日なのです。

打ち切りの理由は、4月3日のジャーナルで触れたジャイアント馬場の独占契約を違反したというもの。

会見の席で日本テレビ関係者が、いずれ他団体のプロレスを放送する旨のコメントは、とても気になるものでした。

というよりも、日本プロレスの他は国際プロレスと新日本プロレス。

国際プロレスは既にTBSが放映していたため、テレビ放映がなく経営に苦しむ新日本プロレスと、契約するのではないかと噂が流れました。

しかし、日本テレビが選んだのは、馬場の新団体である全日本プロレス。

ですがこの時馬場はまだ日本プロレスの所属であり取締役。

つまり日本テレビは、日本プロレスが契約違反した段階で放映打ち切りを決めたと同時に、馬場を独立させ馬場の新団体を放映することも決めていたのでしょう。

馬場も契約を軽視する日本プロレス経営陣に愛想をつかし、日本テレビの話に二つ返事で乗ったことでしょう。

しかし、一瞬でもテレビ放映されるのかもと、喜んだ新日本プロレスは気の毒でしたね。

そこで、最後に一言!

『プロレスの、人気はテレビ局しだい』

また、来週!

 2015年5月1日(金)

  『この日何の日、気になる日 第58回』

皆さま、ゴールデンウィーク満喫してますか?

さすがにプロレス業界も、この時期は活気に溢れてますね♪

では今週も『この日何の日…』いってみましょう!

1998(平成10年)5月1日は、全日本プロレスが東京ドームに初進出した日なのです。

先週触れた東京ドームでプロレス初興行を行った、新日本プロレスに遅れること10年。

全日本プロレスもついにというより、御大・ジャイアント馬場も重い腰を上げたと囁かれたものです。

三沢光晴と川田利明の三冠ヘビー選手権やベイダーの初登場、馬場と新崎人生の初対決に58300人の観客が狂喜するなど、初のドーム興行は大成功。

しかし、馬場はなぜこれまでドーム興行を手を出さなかったのでしょうか?

とても気になりますね。

この頃の全日本マットは四天王プロレスの絶頂期で、日本武道館大会はカード発表前でもチケット完売の超人気団体。

ライバルである新日本プロレスがドーム興行を次々と成功させているのだから、全日本のドーム興行も成功間違えなしと思われていました。

それなのに動かない馬場・全日本。

確かにドームを満員にするには、ベストなカードを揃えるのは勿論のこと、プラス話題性もなければ5万人を越える観客を集めるのは不可能。

れに観客は集められても、あの広い空間で全ての観客がプロレスを楽しめるのかどうか。

一口にドーム興行といっても、馬場の中ではリスクの方が上回っていたのかも知れませんね。

なるほど石橋を叩いても渡らないと言われた、馬場社長らしいですね。

そこで、最後に一言!

『今週も、ドームの話で、スミマセン』

また、来週!

 2015年4月24日(金)

  『この日何の日、気になる日 第57回』

皆さま、いよいよゴールデンウィークですね。

大型連休を楽しむ人も、仕事で休みのない人も、『この日何の日…』お楽しみくださいませ。

1989年(平成元年)4月24日 は、新日本プロレスが東京ドームでのプロレス初興行「格闘衛星★闘強導夢」を開催した日なのです。

日米ソの選手を集めたこの大会の、メインはアントニオ猪木対柔道金メダリストのショータ・チョチョシビリの異種格闘技戦。

その他獣神ライガーのデビュー戦や、藤波辰爾が返上IWGPヘビー級王座が賭けられた闘強導夢杯争奪トーナメントが話題を呼び、53800人の大観衆を集め大成功。

初の試みである東京ドーム大会で観客動員的には申し分ありませんが、試合結果は猪木は負けIWGP王座はビッグバン・ベイダーに奪われる最悪の事態。

動きが思いのほか良かった、ソ連の選手たちを売り出す大会とも感じました。

しかし藤波はなぜベルトを返上し、トーナメント優勝者に贈ることにしたのでしょうか?

とても気になりますね。

3カ国の強豪が参加するトーナメントに賭けることで、ベルトにより権威を持たせるためと言われていますが、果たして藤波の本心だったのかどうか。

師匠の猪木やライバル長州力と争い、死に物狂いで手に入れたIWGP王座。

エースの証であるIWGP王座であるのに簡単に返上するとは、藤波の身に何かあったのでしょうか?

7度の防衛に成功した王者の自信から、トーナメントで優勝し王者に返り咲く確信があったのか。

それとも、初の東京ドーム大会ということで、何か目玉になることが必要だったのか。

メインは猪木、ベルトはベイダーに獲られたこの東京ドーム初興行は、藤波にとって悪夢としか言えませんね。

そこで、最後に一言!

『本当は、藤波さんが、噛ませ犬?』

また、来週!

 2015年4月17日(金)

  『この日何の日、気になる日 第56回』

皆さま、やっと春が来たと思ったら、雨やら寒い日が続き憂鬱な気分のマサルです。

本格的な暖かい春を待ちながら、今週も『この日何の日…』いってみましょう!

1987年(昭和62年)4月17日 は、全日本プロレス鹿児島大会で、スタン・ハンセンとドリー・ファンクJr.の間でPWFヘビー級王座決定戦が行われた日なのです。

前王者である長州力が、2月に全日本プロレスを離脱したため組まれたこのカード。

トップ外人同士の闘いは、両者リングアウト引き分けに終わり王座は空位のまま。

PWF王座といえば、旗揚げからジャイアント馬場が巻き続けてきた全日本プロレスの看板タイトル。

その団体の顔とも言えるベルトであるのに、なぜ外人同士の決定戦を組んだのでしょうか?

とても気になるところです。

タイトル争いから退いた馬場はさておき、ジャンボ鶴田や天龍源一郎をエントリーしても良かったのでは?

当時鶴田はインターナショナル、天龍はUNとシングルの王者だったがために挑戦させなかったのか。

それとも、常連外人にベルトを獲らせた方が、今後のマッチメイクに幅がでるからなのか。

マサル的には、鶴田と天龍の決定戦の方が見応えあったと思います。

鶴田と天龍のPWF王座決定戦!

つまりは全日本プロレスの真のエースを決める闘いなのです。

ダブルエースと呼ばれた二人が、馬場の代名詞であり全日本の至宝を巻くことでトップに躍り出るなんてドラマチックじゃありませんかね。

いや、もしかすると馬場は、鶴田と天龍を争わせることを嫌い、あえて外人同士の決定戦にしたのかも知れません。

団体内の日本人抗争を嫌い、大事なエースを傷つけたくない馬場らしい決断だったのでしょう。

いやいや、馬場は愛着のあるベルトを、あっさり弟子に譲るのを躊躇ったのかも知れませんね。

そこで、最後に一言!

『このベルト、鶴田・天龍にゃ、まだ早い』

また、来週!

 2015年4月10日(金)

  『この日何の日、気になる日 第55回』

皆さんこんにちは、ジャイアンツ・ファンのマサルです。

新生ジャイアンツ調子がでませんねぇ。

阿部はやっぱりキャッチャーじゃなきゃダメなんですかね?

とまあ野球の愚痴は置いといて、今週も『この日何の日…』いってみましょう!

1999年(平成11年)4月10日は、新日本プロレス東京ドーム大会で、大仁田厚と蝶野正洋によるノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチが行われた日なのです。

 

前年FMWと完全に別れた大仁田は、新たなる戦いの場として新日本プロレスに狙いをつけることに。

念願叶ってこの年1月のドーム大会で新日本初登場した大仁田は、佐々木健介と対戦し火炎殺法により反則負け。

プロレスで邪道と言われるデスマッチを得意とする大仁田は、新日本のストロング・スタイルで勝負する気などなく、何とか自分の土俵に引きずり込もうとしたのですね。

全日本プロレスでデビューしたが膝の怪我で一度引退し、プロレス界を去ることになった大仁田。

がしかし、プロレスが忘れられずFMWを設立し奇跡の復活を遂げるのです。

カムバックした後、膝が悪いこともあり、まともなプロレスが出来ずにデスマッチに走りこれが大当たり。

デスマッチも回を重ねるごとに、有刺鉄線、電流爆破、地雷、時限爆弾などエスカレート。

全身を傷だらけにして泣き叫ぶ姿が大人気となり、涙のカリスマやデスマッチ教祖と呼ばれ一時代を築くことに成功します。

その度を越えたデスマッチをこなした大仁田は、デスマッチならば天下の新日本プロレスに勝てると思ったに違いありません。

しかしなぜ、大仁田は全日本プロレスではなく、新日本プロレスに喧嘩を売ったのでしょうか?

とても気になりますね。

全日本ではジュニア王者にはなったが、怪我もありパッとせずに引退した大仁田。

デスマッチとはいえ団体のエースになり、プロレス界でもトップになったのだから、古巣マットに登場してもおかしくないのでは?

いやいや、やっぱり勝手知ったるとこよりも、未知の世界である新日本にどうしても1度は挑戦したかったのでしょう。

大恩のあるジャイアント馬場の創った全日本を血で汚すより、誰の挑戦でも受けると吠える新日本で大暴れ!

大仁田は自分の売り方を、良く知っていますね。

そこで、最後に一言!

『本当は、東京ドームは、火気厳禁』

また、来週!

 2015年4月3日(金)

  『この日何の日、気になる日 第54回』

皆さん!4月です!

新入生、新社会人など新生活が始まる4月です。

生活スタイルが変わる人もそうでない人も、今週の『この日何の日…』お楽しみくださいませ。

さて1972年(昭和47年)4月3日は、日本プロレス新潟大会のジャイアント馬場の試合を、NET(現テレビ朝日)が放映した日なのです。

NETが馬場の試合を流したのが、どうかしたかと思うなかれ。

元々日本プロレスは、昭和29年の団体設立から日本テレビと放映契約を結んでおり、NETは昭和44年から放映開始。

新規参入のNETが放映する条件として、馬場と坂口征二の試合及びワールド・リーグ戦の放映はしないというもの。

馬場のいないNETは、売り出し中のアントニオ猪木を主軸に番組を構成していたが、猪木の団体追放により主役を失いエース馬場の放映に踏み切るのです。

日本テレビの了解もなしに…

結果この日NETが馬場の試合を放映したということで日本テレビは大激怒、放映打ち切りへとなってしまうのです。

しかも、この件を深刻にとらえた馬場は退団へと、日本プロレスは泥沼にはまって行くのですね。

しかしなぜ日本プロレス幹部は、馬場のNET登場をあっさり決めてしまったのでしょうか?

とても気になります。

猪木という目玉選手を失ったNETに強く頼まれ、断り切れなかったからなのか。

日本テレビとの関係が悪くなることや、放映打ち切りは予想していなかったのか。

ライバル団体の国際プロレスを、人気面で大きく差をつける二局放映。

当然放映権収入も莫大なものに違いありません。

二局放映を継続させたいがための、馬場のNET登場。

がしかし、二局放映継続のつもりが、日本テレビの逆鱗に触れると考えないとは、日本プロレス幹部は会社運営を甘く見ていたようですね。

二兎を追うものは、一兎も得ず…ということですね。

そこで、最後に一言!

『馬場を出すものは、日テレを得ず』

また、来週!

 

 

 

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