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 2014年6月27日(金)

  『この日何の日、気になる日 第19回』

さて今週も『この日何の日…』いったい何が飛び出しますか。

1990年(平成2年)6月27日 は、SWSが新横浜に新設した仮道場の道場開きを行った日なのです。

それと同時に、ケンドー・ナガサキ、鶴見五郎、片山明の入団も発表されました。

この年5月に、団体設立を正式発表したSWS。
メガネスーパーという大会社が、豊富な資金をバックにプロレス界参入し、旗揚げ前から期待や非難の混じり合う存在でした。

今までの新団体設立とは違い、大企業が母体となるプロ野球チームのようなものであり、資金不足に悩むことはまず考えられません。

懸念されていた人材不足、レスラー不足も豊富な資金、つまり実弾攻撃による引き抜きも辞さないスタイルで他団体より強引に獲得し、既存の団体を脅かすものでした。

しかし、金では動かないことで有名な、天龍源一郎を全日本プロレスから移籍させたように、この新団体には莫大な資金力の他にも、選手を動かす何かあったに違いありません。

主力選手が頭となってチームを編成し、対抗戦を行う部屋別制度。
それぞれの部屋には専用の道場を用意し、人材育成や一般解放も視野に入れているという。

その他、団体独自の公式ルールの制定によるスポーツライクなプロレスやWWFばりのショーアップした会場演出など、選手の心を動かすには充分すぎる構想がSWSにはあったのです。

しかしなぜ、メガネスーパーはプロレス団体を一から興そうとしたのか、とても気になります。

団体設立に準備した資金は、50億や60億とも噂されていました。

それだけの資金があれば、既存団体を丸ごと買い取る方法もあったはずです。

だが、あえて難しい道を選んだメガネスーパー。

旗揚げ後も、ファンやマスコミからバッシングを受け、最終的には内部分裂まで起こし、わずか2年で幕を閉じてしまいました。

時代の一歩も二歩も先を走りながらも、理想と現実に悩み傷つき崩壊していったSWS。

今となっては、ああいう団体が必要だと言う声も多くなったのは、皮肉としか言えませんね。

そこで、最後に一言!

『プロレスも、夢も金では、買えないか』

また、来週!

 2014年6月20日(金)

  『この日何の日、気になる日 第18回』

えぇ~皆さま~毎度お馴染みの『この日何の日…』の時間でございますぅ。

さて1989年(平成元年)6月20日は、アントニオ猪木が参議院議員選挙への正式出馬を表明した日なのです。

年号が昭和から平成へ変わったこの年、新日本プロレスも興行面で新たな挑戦を開始。

東京ドームでのプロレス初開催や、ソ連のレスリング選手のプロ転向、そして新日本プロレスへの招聘。
ビッグバン・ベイダーやクラッシャー・バンバン・ビガロなどのアメリカ勢も交え、「日米ソ3国対抗戦シリーズ」を大成功させました。

日本とアメリカとソ連が1つのリングに集結する画期的な試みとドーム興行を成功させた猪木の目的は、ドームでの定期的な興行であり世界進出ではないのでしょうか。

プロレスラー初の国会議員に猪木がなることで、長年の夢である海外戦略もスムーズにいくこともあり、この出馬表明はプロレス界の未来へ繋がるものだったのかも知れませんね。

猪木の政界進出、坂口征二の社長就任と現役引退表明、東京ドーム初開催、ソ連選手の招聘、闘魂三銃士の活躍、獣神ライガーの誕生と、この年は新日本プロレスにとっても「元年」ということになったのですね。

そこで、最後に一言!

『年号と、ともに変わった、新日本』

また、来週!

 2014年6月13日(金)

  『この日何の日、気になる日 第17回』

さて今週も『この日何の日…』ぶっちゃけ始めましょう。

2000年(平成12年)6月13日 は、三沢光晴、百田光雄、田上明、小橋健太らが全日本プロレスの取締役を辞任し、退社した日なのです。

前年5月に、亡くなったジャイアント馬場の跡を引き継ぎ、社長となった三沢。
しかし、団体オーナーである馬場元子夫人と意見が合わず退団、新団体設立に踏み切りました。

その三沢に賛同し退団した選手、レフェリー、練習生、なんと合わせて26名。

だが、そんな中、川田利明と渕正信は全日本プロレス残留、三沢らの新団体には不参加を表明しました。

この前代未聞の大量離脱で、なぜ川田と渕は動かなかったのでしょうか?

残された二人で、全日本プロレスという大看板を守り抜く自信はあったのかどうか。

それよりも、三沢らが川田と渕を誘ったのか誘わなかったのか、とても気になります。

この頃の全日本プロレスは、四天王プロレスの絶頂期。
その四天王の中でも、三沢と川田はツートップ。
同じ高校の先輩後輩であり、リング上ではライバル関係。
お互いが鎬を削り合うことで、全日本プロレスの人気は高まり、四天王プロレスはブランド化されました。

そんな、プロレス界にはなくてはならない間柄の二人の関係は、本当はどうだったのでしょうか?

後輩ということだけでなく、同じ団体にいては、天才的センスを持つ三沢を越えることは不可能と考えた結果、川田は袂を分かったのか。

それとも、高校時代から続く、誰にも言えない何かが二人にあったからなのか。

理想を求め旅立つ三沢と、信念を曲げずに己を信じて残った川田。

どちらが正しいのかは、分かりません。

そして今日6月13日は、偶然にも三沢氏の命日。

この大事件が重なる日、これを本当に偶然と言って良いのでしょうか?

『信じるか信じないかは、あなた次第です』

 2014年6月6日(金)

  『この日何の日、気になる日 第16回』

今週も『この日何の日…』バーンと行ってバシッと決めてみましょう。

1987年(昭和62年)6月6日は、全日本プロレス長門大会で天龍同盟がスタートした日なのです。

この年の全日本プロレスは、長州力らジャパン・プロレスの主力が大量離脱し、全日本マットは激しさのないぬるま湯状態と言われていました。

そんな状況を打破するべく天龍源一郎は阿修羅・原と天龍同盟という、全日本プロレス本隊と敵対するグループを結成しました。

ジャンボ鶴田や輪島大士を敵に廻すことで、以前の激しい全日本プロレスを取り戻し、それに加え自分たちのレベルアップも図ったのですね。

しかし、なぜ天龍はパートナーに原を選んだのでしょうか。

団体内での日本人抗争を嫌う、ジャイアント馬場を説き伏せての同盟スタート。

失敗は許されず、もう後戻りが出来ない状態なのだから、同じ大相撲出身の石川孝士やアメリカで行動を共にしたグレート・カブキでも良かったはず。

それなのに、外様の原と手を組んだ理由が気になります。

全日本プロレスではタブーであった日本人抗争に着手することは革命を興すこと。

団体内で革命を成功させるには、全日本プロレスのカラーに染まった者ではなく、何をしでかすか分からない、ギラギラした闘争心を持った者じゃなければならないと感じたのでしょう。

この頃の原は、謎の失踪したあと、フリーのヒットマンとなって全日本マットに復活し、天龍や長州に牙を剥いている時でした。

そんな一匹狼の原と全日本人気復興という野望に燃える天龍が合体することは必然であり、原の存在が天龍をやる気にさせたのかも知れませんね。

そこで、最後に一言!

『阿修羅・原、あなたがいたから、僕がいた』

また、来週!

 2014年5月30日(金)

  『この日何の日、気になる日 第15回』

皆さまお待たせしました、『この日何の日…』の時間です。

さて、1975年(昭和50年)5月30日は、ストロング小林が正式に新日本プロレス所属になることが発表された日なのです。

小林は前年2月に国際プロレスを退団しフリーとなり、全日本プロレスのジャイアント馬場と新日本プロレスのアントニオ猪木に挑戦を表明。

猪木は挑戦を受諾し3月に一騎討ちが実現し、昭和の巌流島の対決と騒がれました。

12月にも再戦し、小林は1月のシリーズにはフリーとして参戦。
そして、今日を迎える訳ですね。

しかし、なぜ小林は新日本プロレスに正式入団したのでしょうか?

打倒・猪木を目指すのならば、フリーでも問題がないはず。

それとも、2度の完敗で対猪木を諦め、団体をサポートする気になったのか?

そんなことより、もっと気になることがあります!

馬場との対決はどうなったのでしょうか?

国際プロレスでエースとなった小林は、馬場と猪木を倒して真の日本一を目指したはず。

猪木に負けたとしても、馬場と闘うことでレスラーとして一回りも二回りも成長出来たのではないのでしょうか。

なのに馬場への挑戦は自然消滅、新日本プロレスの所属に収まってしまった小林。

猪木との激闘で、レスラーとしての限界を感じたからなのか。
それとも、フリーとして活動する難しさを知ったからなのか。

とにかく、新日本プロレス所属になってからの小林は、ギラギラした闘争心も薄れてしまったのが残念でした。

どうせなら、フリーの時に馬場に挑戦し、全日本プロレスに入団しても面白かったのにな。

そこで、最後に一言!

『小林は、牙を抜かれて、毛も抜けて』

また、来週!

 2014年5月23日(金)

  『この日何の日、気になる日 第14回』

さて今週も『この日何の日…』ドーンといってみましょう。
1976年(昭和51年)5月23日、国際プロレスの後楽園ホール大会に、上田馬之助が2年7ヶ月ぶりに日本逆上陸を果たした日なのです。

大相撲から日本プロレスへ入門し、地味ながらも実力者と呼ばれていた上田。

日本プロレス崩壊後、全日本プロレスへ移籍しましたが、すぐに退団し活動場所を海外に求めました。

そして、全日本プロレスとの契約切れを待ってジャイアント馬場、アントニオ猪木、ラッシャー木村に挑戦を表明。

馬場と猪木には拒否されましたが、国際プロレスは挑戦を受諾、今回の逆上陸となったのです。

上田といえば金髪でお馴染みですが、この時の上田は前髪だけを金色に染めたまだら金髪、いわゆる「まだら狼」スタイルだったのです。

この頃の日本プロレス界は、日本人対外国人が主流。
日本人=正義、外国人=悪というのがお約束。

日本人ではあるが、一匹狼の悪党に変身した上田が、髪を染め外国人サイドを強調したのは分かります。

しかし、なぜ前髪だけを染めたのでしょうか?
全てを金髪にしなかった理由が気になります。

毎回マサル的な解釈で申し訳ありませんが、上田には力道山の弟子としての誇りが残っていたのかも知れません。

力道山門下の兄弟弟子である、馬場と猪木と闘いケジメをつけるまでは、完全な悪役、身も心も外国人にはなれなかったのでしょうね。

そこで、最後に一言

『オレの髪、オシャレで染めてる、訳じゃない』

また、来週!

 2014年5月16日(金)

  『この日何の日、気になる日 第13回』

皆さまこんにちは、『この日何の日…』の時間です。
1983年(昭和58年)5月16日は、長州力とアニマル浜口が新日本プロレス津大会を無断欠場、新日本プロレス脱退を表明した日なのです。

前年10月に藤波辰巳に噛ませ犬発言による宣戦布告、新日本プロレス本隊と袂を別った長州。

そしてフリーの海外組であるマサ斎藤、キラー・カーンと革命軍を結成し新日本本隊と抗争をスタートしました。

その後、はぐれ国際軍団を飛び出したアニマル浜口と手を組み、この日の行動をとったのです。

長州が無断欠場したこのシリーズは第一回IWGP。
長州はリーグ戦に出場していないとはいえ、試合に穴をあけるとはプロ失格と言われても仕方ありません。

逆に考えれば、長州をそこまで追い詰めた理由とは何だんたのでしょうか?

脱退といっても、新日本プロレスを飛び出し他団体に行く訳でもなく、単に所属を解除しフリー扱いになった長州。

なぜ無断欠場?なぜ新日本プロレス脱退?

とても気になります。

もしかすると、長州以外の革命軍メンバーはフリーの選手ばかり。

リーダーの長州が団体所属というのも、他のメンバーに申し訳ない気持ちがあったのかも知れません。

全員が何の保障もないフリーとなれば、軍団の結束力も強くなるはずです。

プロレス界の革命という大目標に向かうには、それなりの覚悟をしなければならない、責任感の強い長州の決断だったのですね、きっと。

そこで、最後に一言

『長州の、滑舌もっと、良ければな』

また、来週!

 2014年5月9日(金)

  『この日何の日、気になる日 第12回』

今週の『この日何の日…』ですが、5月9日59(ゴーキュー)といってもGO-Qプロレスリングの日ではありません(笑)

1975年(昭和50年)5月9日全日本プロレス日大講堂大会で、日本初のWWWF世界王座戦がブルーノ・サンマルチノとジャイアント馬場で行われた日なのです。

馬場も自身の保持するPWF王座を懸けての世紀の一戦は、引き分けに終わり両者タイトル防衛に成功しました。

日米の超大物同士によるダブル・タイトルマッチを今後も期待したファンは多かったのですが、残念ながら全日本プロレスマットでは最初で最後のWWWF選手権試合になってしまったのです。

WWWFはその後新日本プロレスと業務提携したため、馬場のWWWFタイトル挑戦もWWWF系レスラーの全日本プロレス参戦もなくなってしまったのです。 
しかし、サンマルチノだけは新日本プロレスに参戦せずに、全日本プロレス参戦を継続していました。

WWWFも新日本プロレスも目玉選手であるサンマルチノの、新日本プロレス参戦を希望していたに違いありません。

それなのに、なぜサンマルチノは全日本プロレスに拘ったのか、大変気になります。

新日本プロレス参戦を拒否するということは、即ち大組織WWWFを敵に廻すこと、サンマルチノが背任行為的な態度を貫くには、それなりの理由があったはずです。

それは、若手時代にニューヨークで共に修業を積んだ、馬場との友情を大切にしたからだと言われています。

しかし、友情のためだけでWWWFでのビッグ・チャンスを蹴れるものでしょうか。

大金よりも友情を選んだサンマルチノには、義理と人情を重んじるイタリア人の熱い血が流れているのです。

友情を大切にし、曲がったことが何よりも嫌いで、自分自身の信じた道しか進まない姿に馬場も好意を持ったのかも知れません。

人間発電所と東洋の巨人のの国境を越えた友情は、馬場が亡くなった今でも続いていることでしょう。

そこで、最後に一言

『サンマルチノ、そこのけそこのけ、頭の毛』

また、来週!

 2014年5月2日(金)

  『この日何の日、気になる日 第11回』

皆さま、ゴールデンウィークのご予定は?マサルです。

さて今週の『この日何の日…』1984年(昭和59年)5月2日ですが、全日本プロレスのジャイアント馬場が、ジャンボ鶴田と組んで保持していた、インターナショナル・タッグ王座の返上を発表した日なのです。

インター・タッグは、古くは馬場とアントニオ猪木のBI砲の代名詞であったように、日本マット界のタッグ・ベルトの代表的存在であり、このベルトを巻くチームこそNo.1チームといっても過言ではありません。

日本プロレス崩壊後、全日本プロレスで復活してからは、馬場と鶴田で守り続けてきた至宝であります。

長らく全日本プロレスの看板チームとして活躍していた馬場&鶴田の師弟コンビですが、前年の世界最強タッグ決定リーグ戦から、鶴田と天龍のタッグが本格的に始動し、師弟コンビは正式ではありませんが解散状態でした。

本来ならば、前年の最強タッグの前にインター・タッグを返上しても不思議ではないのです。

なぜ馬場はこのタイミングで、ベルトを返上したのか気になりますね。

鶴田&天龍ではまだ早い、最強タッグの成績を見てからでも遅くないと考えたのか。
それとも、インター・タッグと最強タッグは別物と考え、愛着のあるベルトを手離したくなかったのか。

もしかすると、この年2月に鶴田がAWA世界王者になったことで、鶴田に全てを任せる決断をしたのかも知れません。

馬場もこの時46歳、徐々にではありますが、一線から退く悲しいきっかけであったことは間違いありません。

そこで、最後に一言

『馬場・猪木、鶴田・天龍、次は誰?』

また、来週!

 2014年4月25日(金)

  『この日何の日、気になる日 第10回』

さて今週の『この日何の日…』4月25日ですが、1997年(平成9年)の今日、ターザン後藤が真FMW設立を発表した日なのです。

真FMWといってもFMWを退団した後藤がつくった、FMW本隊とは何の関係もない団体です。

FMWとは言わずと知れた大仁田厚が、全日本プロレス退団後にプロレス界に復帰するために自ら興した団体です。

当時遠征先のアメリカで燻っていた後藤は、世話になった大仁田を助けるべく新団体に参加、若手のコーチや大仁田のタッグパートナー、時には大仁田とのデスマッチまでこなし、FMWの繁栄に尽力してきました。

ところが、大仁田の引退試合の対戦相手に指名されながらも、直前に若手二人を引き連れて退団してしまうのです。

誰も予想していなかった後藤の退団。
しかも、ビッグマッチのメイン出場をドタキャンするなど前代未聞。
プロレスでありがちな演出ではなく、誰もが信じられない後藤の単独行動は、とても気になります。

アメリカでは試合もなく、コックをして生活をしていた後藤。
全日本プロレスからの帰国命令もなく、日本では忘れられた存在になっていたのも事実です。

そんな後藤を呼び戻し、プロレスラーとして甦らせたのはFMWであり大仁田。
恩人であり、家族以上の絆で結ばれていたはずの後藤と大仁田に、何があったのか真相は謎です。

大相撲、全日本プロレス、アメリカ遠征と不遇の時代が続いた後藤が、レスラーとして花開いたFMW。

もしかすると、FMWでの活躍がきっかけで、後藤の中で眠っていた野心が爆発し、レスラーとしての可能性に懸けようと目覚めたのかも知れませんね。

そこで、最後に一言

『ターザンは、プライベートも、デスマッチ』

また、来週!

 2014年4月18日(金)

  『この日何の日、気になる日 第9回』

さぁて、今週の『この日何の日…』4月18日ですが、1989年(平成元年)の今日、全日本プロレス大田区体育館で、ジャンボ鶴田がスタン・ハンセンを破り初代三冠統一ヘビー級王者となった日なのです。

インターナショナル、PWF、UNと3本のヘビー級ベルトが存在する全日本プロレス。
この3本のベルトの初の統一戦が行われたのは前年4月、ブルーザー・ブロディと天龍源一郎が大阪で対決しましたが、両者リングアウトに終わり統一失敗。
この日の三冠統一は、実に一年越しの夢であり快挙でした。

そして、前年10月と2日前の16日にも鶴田とハンセンによる統一戦が行われましたが、両者リングアウトと無効試合によりまたしても失敗。
とくに2日前の対決では、試合結果に納得のいかないファンが激怒するなど、この日の統一戦は何が何でも成功しなければならなかったのです。
しかし、なぜ急に3本のベルトを統一することになったのか気になりますね。

良くも悪くも、何かと問題視されていた3本のベルト。
確かに1つの団体にヘビーのベルトが、3本もあるのが不自然です。
しかも、NWAやAWAの世界王座まで絡むのだから、ファンも闘う選手も焦点が定まらないでしょう。

タイトル戦線を明確にすることや、歴史と伝統のある3つの王座を統一することで、より権威を高めようとしたのではないのでしょうか。

とくにこの頃は世界王座の価値が落ちていたこともあり、世界王座に代わるタイトルが必要とされていたのも事実です。

三冠統一王座にしても世界タッグ王座にしても名前から分かるように、今後海外の組織に頼らない、全日本プロレスが一番の団体であるというジャイアント馬場の姿勢ではないのでしょうか。

そこで、最後に一言

『鶴田より、早くナボナは、三冠王』

また、来週!

 2014年4月11日(金)

  『この日何の日、気になる日 第8回』

こんにちは、『この日何の日…』の時間です。

さて、2001年(平成13年)4月11日なのですが、全日本プロレス仙台大会で、天龍源一郎がチャンピオン・カーニバルで優勝した日なのです。

前年に三沢光晴たちの大量離脱もあり、10年ぶりに全日本プロレスに電撃復帰を果たした天龍。

天龍はこのカーニバルが19年ぶりの参加であり、実に嬉しい初優勝だったのです。

天龍といえば大相撲からプロレスへ転向し、全日本プロレスで一時代を築いたのちに新団体SWSの旗揚げに参加。
SWS崩壊後はWARを設立、他団体との対抗戦を積極的に行う等、プロレス界を盛り上げましたが残念ながら解散。
そして、選手層の薄くなった古巣の全日本プロレスに再入団という形で帰って来たのです。

しかし、天龍ほどの大選手が、なぜこんなにも団体を渡り歩いているのか気になりますね。

大抵の大物選手は1つの団体に、ドッシリと腰を落ち着けているものですが、天龍の場合は流れ者のようなプロレス人生です。

だがこの男・天龍源一郎は、ただの流れ者ではありません。
行く先々で、必ず新しいものを生み出してます。

全日本プロレスでは天龍同盟を結成し、全日本初の日本人抗争に踏み切り、伸び悩みの若手にまで容赦のない攻撃をするなど、ぬるま湯体質を一掃し活性化に成功。

SWSでは部屋別制度の導入や派手な会場演出等、当時のプロレス界では一歩進んだ存在でした。

天龍がプロレス界を流れさすらうのは、自分自身がプロレスを究めることもありますが、プロレスとは凄くて素晴らしいものなんだと世間に知らしめたいことと、プロレス界をより盛り上げたいと思う気持ちからなんでしょうね。

プロ野球で例えるならば、江夏豊や落合博満のような、優勝請負人のようです。

そこで、最後に一言

『ボンクラ頭を叩いてみれば、天龍チョップの音がする』

お粗末!

 2014年4月4日(金)

  『この日何の日、気になる日 第7回』

さぁ今週の『この日何の日…』4月4日 といえばアントニオ猪木の引退と言いたいところですが、ヘソ曲がりのマサルが選んだのは、1991年(平成3年)4月4日、SWSが北尾光司の解雇を発表した日なのです。

北尾といえば、大相撲で元横綱・双羽黒として活躍したのち、スポーツ冒険家を経て新日本プロレスマットでプロレスデビュー。
しかし、長州力とのトラブルなどがあり約7ヶ月で契約解除。
その後、尊敬する大相撲の先輩である天龍源一郎を頼り、設立間もないSWSに入団することになったのです。

しかし、またもやトラブルをお越してしまうのですが、このトラブルというのが前代未聞の八百長発言。
プロレス界ではタブーとされている、八百長という言葉を試合会場で対戦相手や観客に向かって叫んでしまったから、さぁ大変。
プロレスマスコミやファンはおろか、一般誌をも巻き込む大事件にまで発展しまったため、事態を重く見たSWSは謹慎処分をやめ北尾解雇の決断を下したのです。

しかし、北尾はなぜあんな大それた発言をしてしまったのか気になりますね。

大相撲で頂点を極めたにも関わらず、プロレスでは思うようにいかず悩んでいたからなのか。
それとも、ショー的要素の強いプロレスを軽視していたからなのか。

マサルが思うには、きっとプロレスが好き過ぎて、北尾自身が思い描いた夢や妄想ばかりが先走りしたからではないのでしょうか。
とにかく、あれだけの巨体と素質を持った選手が消えてしまったのはとても残念です。

そこで、最後に一言

『立てば長身、座れば貫禄、闘う姿はブーイング』

また、来週!

 

 

 

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